今天收到老爸從泰國寄來的賀年信,裡面也有附好幾張的照片,都是拍小寶寶的,她叫Yuki,還沒一歲,我去年暑假去泰國的時候,第一次看了她,也抱了她,還蠻可愛的,去年夏天她還站不起來,不過看這次照片,似乎她已經能穩定站立,嬰兒的成長,還真快呢!

 今日、父親がタイから送った年賀状を受け取った。中には何枚もの写真が同封されていて、どれも赤ちゃんの写真。赤ちゃんの名前は「ゆき」、まだ一歳にもなっていない。去年の夏休みにタイに行ったときに初めて会って、抱っこしたりもした。なかなか可愛い。去年の夏はまだ小さくて立つこともできなかたのに、今回の写真ではもう立ってる。子どもの成長のなんと速いこと!

孩子的媽只有比我大一歲而已,而我爸卻快要六十歲了,老爸寄來的每一張照片都洋溢著一股幸福的氣氛,一家三個人都面帶著天真無邪的笑容。
對於老爸在泰國結婚生小孩這件事,我一邊擔心一邊祝福,
擔心是因為我爸年老了,甚至也有可能看不到自己的孩子成年,
祝福是因為我爸現在過著他想要的生活,
寄給我那麼多張照片就可知他對目前生活的滿意。

母親は私より一つ年上なだけ、父親はもうすぐ六十歳。送られてきた写真の一枚一枚に幸せが溢れていて、一家三人とも無邪気に笑っている。
父親がタイで再婚し子どもも作ったことに対しては、心配する気持ちと祝福する気持ちが半々だ。
心配するのは父親の年齢がもう若くはなく、新しい子どもが成年するまで一緒にいてやれるかどうかわからないこと。
祝福すべきは父親が自分の望みに適った生活を送っていること。こんなに多くの写真を送って来るのは、今の暮らしに相当満足しているからだろう。

曾經有一段時間我在心裡排斥過我爸,只要是因為他不夠善解人意,有些自我中心,又有點誇大,之所以到最後爸媽他們仳離,老爸的這些缺點也是原因之一,不過後來又覺得畢竟他所作所為都是無意之過,無可厚非。

かつて、心の中で父親を斥けた時期が有った。というのは父親があまり人の気持ちに敏くなく、ちょっと自己中心的で、ものを大きく言う癖があるから。最終的に父と母が離れたのは、父親のこういう点も一因であった。父親も悪気があるわけではなく、一味に咎めることはできないと思うようになったのはしばらく後の事。

而且我這幾年也發現我也像老爸了,我爸年輕時花了半年騎單車繞了日本一圈,而我也花了三天從台南騎到桃園過,我爸很愛東南亞洲(故他現定居於泰國),而我也喜歡東南亞洲,我爸很愛現、愛自誇,而我也是,我爸跟台灣人結了婚,而我也恐怕也會, 諺語說「有其父必有其子」,果然並非虛言!

最近、やっぱり自分も父親に似ていると感じた。父親は若いころ半年かけて自転車で日本を一周した。自分も三日かけて台南から桃園まで漕いだことがある。父親は東南アジアが大好き(だからこそ今はタイに定住)、そして自分も東南アジア好き。父親は目立ちたがりで、自慢気で、自分も同じ。父親は台湾人と結婚したし、自分も恐らくそうなるだろう。諺に「この親にしてこの子あり」とあるが、なるほどそのとおりだ。

去年夏天去泰國的時候,我跟老爸一起去了酒吧,似乎我爸從以前一直夢想著有一天跟自己的兒子一起去喝酒,那次我們也沒有聊到多少, 鬧哄哄的酒吧裡,一對父子時而談話時而沉默,有時他也搭訕店員的女生聊天,跟兒子炫耀他這幾年學到的泰語。我老爸,還是個少年。

去年の夏にタイへ行ったとき、父親とバーに入った。父親は昔から自分の息子と酒を飲むのが夢だったようだ。言葉は多くなかった。にぎやかな店内で、一組の父と子が時には話し時には沈黙のまま。時にはまた父親が店員の女の子に話しかける。ここ何年で覚えたタイ語を息子に披露する。おやじは、まだまだ少年だ。

邊看著寄來的照片,邊想著這個小寶寶的未來,但願這個小孩一直能有健康又有活力的爸爸。

送られてきた写真を眺め、この赤ちゃんの未来を想う。この子にいつまでも健康で活き活きとした父親がありますように。
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