我喜歡東京,更喜歡江戶(江戶為東京之舊名),因為他有獨特且深厚的文化底醞。
東京も好きだけど、江戸はもっと好き。独特な文化の重みがあるから。

 每次戰爭發生,長期所累積下來的人類文化,都因人為破壞而化為烏有,眼前我們享受的和平也不過是幾十年之久,和平才能醞釀文化,那如果這麼樣的和平還持續了兩百多年,我們的文化能夠成熟到什麼程度呢?自古以來人類在地球上爭執不斷,不過,曾經還是有過長達260年的難得的和平,那就是江戶時代。

戦争が起こる度に、長い間蓄えてきた人類の文化は、同じ人類の手により破壊されてしまう。今私たちが享受している平和も数十年に過ぎない。平和は文化を育むが、もし今のような平和があと二百年以上も続いたとしたら、私たちの文化はどこまで成熟できるだろうか。いにしえより地球上で人類は絶え間なく争って来たけど、過去に珍しく260年も平和が続いた時もある。それが江戸時代だ。

 有一個字能夠代表江戶時代的市民文化,那就是「粹」,「粹」是什麼?它是一種美學,是一種減去的美學,不擁有太多的東西,將多餘的東西刮去、抹去、除去、減去,一直減到只剩骨架的時候,再把一個自己偏愛的「多餘的東西」附上去,這就是江戶人的美學,也就是所謂的「粹」。

 江戸時代の町民文化を代表する一文字、それが「粋」だ。「粋」とは一種の美学、マイナスの美学である。余計なものを抱え込まず、過ぎたるものをこそぎ落とし、拭き取り、取り除き、骨格だけになるまで削り落とした後で、そこにぽっと自分の好きな余計なものをつける。これが江戸人の美学、いわゆる「粋」である。

 這種美學也被反映在飲食文化上,當時有三大美食食材叫做「江戶三白」,哪三白?燕窩?不!魚翅?不!三白就是白蘿蔔、白豆腐、還有最重要的就是白飯了!當時除了江戶人在吃白米以外,其他大部分地區的主食仍是糙米,因此白飯成為「江戶仔」最為之驕傲的食材,「粹」一字本身也包含著米,身為江戶仔,我也不得不多吃白飯了。

 このような美学は食文化にも反映されている。当時、「江戸の三白」と言われた三大美食食材があるが、それはもちろん燕の巣でもふかひれのことでもなく、大根、豆腐、そしていっち大切な白米のことだ。当時白米が食べられていたのは江戸だけで、その他の場所ではまだ玄米が主食だったことから、白米は江戸っ子の自慢ですらあった。「粋」という字にも米がある。自分ももっと白米食べなくては江戸っ子の名がすたる。

 於是,我跑去家樂福買了電子鍋,就是那種有定時功能的電鍋,可以煮飯、也可以保溫,也順便買了2kg要130元的白米,睡前設定一下,隔天早上就可以吃熱呼呼的白飯!

 というわけで、カルフールに走って、炊飯器を買った。タイマー機能もあるし、炊飯も保温ももちろんできる。ついでに2kgで130元の米も買った。寝る前にセットすれば、翌朝にはほかほかのご飯が食べられる。

第一張照片是我買的電子鍋,1900元,雖然更便宜的中國製的,不過為了挺台灣的製造業,買了這一台台灣製的,賣場也有日本製的,貴死了。

写真一枚目はその炊飯器。1900元(6500円)。中国製のもっと安いのもあったけど、台湾の製造業を応援するために台湾製のを買った。日本製も有ったけど、たっかいたっかい買いません。

第二張是隔天早上煮飯的成果:其實我是第一次用電鍋煮飯的,以前在日本都是用鍋子來煮,所以不太確定用電鍋時水量要多少,以為靠我得天獨厚的隨性來斟酌水量就沒問題,未料煮出來的是一鍋粘稠稠的爛米飯,是米飯和稀飯的混合物。

写真二枚目は買った翌日の朝のさっそくの炊き上がり。実は初めて炊飯器でご飯作りました。日本では鍋でしか作ったことがなかったので、水の量がよくわからなく、天性の適当を存分に発揮して水量を調節したら、炊き上がったのはねばねばもちゃもちゃのご飯ともお粥ともいえない代物。

第三張:而且這鍋爛飯還煮太多,光是吃了早餐就已經吃膩了,再加上因為沒有冰箱,所以只能配罐頭或乾菜類的,早餐配味島香鬆,午餐和晚餐都一樣配香菇麵筋,吃到後來超膩的。

写真三枚目。しかもこのべちゃべちゃごはん炊きすぎた。朝ごはんにふりかけで食べただけでもう飽きたけど、冷蔵庫もないのでおかずはやっぱり乾物か瓶詰めだけ。昼と夜は瓶詰めの椎茸と湯葉。かなり飽きた。

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